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恭仁宮跡(山城国分寺跡) 恭仁宮跡(山城国分寺跡)

恭仁宮跡(山城国分寺跡)

くにきゅうせき・やましろこくぶんじあと □京都府木津川市
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POINT

<風景の中に見つける、旧都の面影。>
京都府木津川市にある「恭仁宮跡」は、奈良時代に聖武天皇が遷都した幻の都・恭仁京の跡地。草むらに残る礎石や山城国分寺跡、大極殿跡が往時の面影を伝えます。のどかな加茂盆地で古代史ロマンを感じられるスポット。本記事では、恭仁宮跡の歴史や見どころ、アクセス、実際に訪れて分かったおすすめ情報を詳しく紹介します。

KEYWORD

#京都府 #木津川市 #史跡 #遺跡 #草原 #国の史跡

TIME

所要時間:15〜30分(散策)

風景の中に見つける、旧都の面影。

奈良時代といえばその間ずっと都は奈良の平城京に置かれたと思いがちですが、実はそうでもありません。710年に平城京遷都が行われた後、794年の平安京遷都までの奈良時代に目まぐるしく都が移り変わる歴史があったのです。740年に恭仁京、744年に難波京、745年に紫香楽京と次々に遷都が繰り返されました。これは全て聖武天皇によるもの。この時代に災害や伝染病が相次ぎ、その厄難から逃れるためだったと言われます。しかしこんなに頻繁に遷都されると官民ともに苦しく、紫香楽京遷都と同じ745年に平城京に戻ってきました。

恭仁宮跡(山城国分寺跡)

奈良時代の740年に平城京から遷都し、744年まで京都南部のこの地に都が置かれていた。

ひっそりとした小さな盆地に、都は造られた。

今回訪ねたのは、その最初の遷都地「恭仁宮跡」です。京都府最南部エリアで周囲を山に囲まれた、小さな加茂盆地に位置します。奈良盆地と比べると格段に小さく、畿内から隠れるようにひっそりとした盆地。盆地の真ん中を東西に木津川が流れ、川の北側に造営されました。
国道163号線を北に入ると、そこはのどかな田園地帯。盆地を囲む山の麓まで田畑の緑が続いています。そんな中に木造校舎が印象深い恭仁小学校があるのですが、その周辺に恭仁宮跡が残されています。

恭仁宮跡(山城国分寺跡)

周囲を山に囲まれた、小さな加茂盆地に位置する。周辺はのどかな田園地帯となっている。

恭仁宮跡(山城国分寺跡) 恭仁宮跡(山城国分寺跡)

恭仁宮跡を示す案内板。

恭仁宮跡(山城国分寺跡) 恭仁宮跡(山城国分寺跡)

朝の恭仁宮跡はひっそりとしていた。

失われたかつての都を、想像する。

恭仁宮跡は平城宮跡のように大きくないですし、史跡公園のように整備されているわけではありません。ただ草が生え放題の広場がある程度。それに大部分が今は田畑の下に眠っているのです。広場を歩くと一歩ごとにバッタが飛び跳ねます。でもそのいかにも「草むら」といった感じが、失われたかつての都をストレートに想像させます。装飾された史跡公園というフィルターを通さずに、直接古代のロマンに触れている気がするのです。

恭仁宮跡(山城国分寺跡)

恭仁京が廃止されたあとは「山城国分寺」が置かれ、そこには大きな礎石が並んで残されている。

山城国分寺跡と、大極殿跡。

基本、原っぱなのですがいくつかの見どころがあります。ひとつは広場の一角に、大きな礎石が並んで残されているところ。恭仁京が廃止されたあとは「山城国分寺」が置かれましたが、その七重塔跡とされています。中央の礎石はかなり巨大なもので、塔の心柱を支えていたものだと思われます。すぐ横には「山城国分寺跡」と刻まれた石碑が建てられています。
もうひとつの見どころは小学校の北側にある「大極殿跡」です。周りより一段高くなった場所で、ここにも昔の建物の礎石が残されています。大極殿なので都で最も大切な建物、国の中心として相応しい建物であったに違いありません。しかも当時の平城京大極殿をここに移築したのだそうです。しかし今はここも草むらに。また鄙びた石塔などもあり、1300年前の記憶をそのままに伝えているようです。

恭仁宮跡(山城国分寺跡)

山城国分寺跡の隣にある「大極殿跡」。当時の平城京大極殿をここに移築したのだそう。

恭仁宮跡(山城国分寺跡) 恭仁宮跡(山城国分寺跡)

今はここも叢となり、当時の面影はない。

恭仁宮跡(山城国分寺跡) 恭仁宮跡(山城国分寺跡)

礎石などが無造作に置かれている。

恭仁宮跡(山城国分寺跡) 恭仁宮跡(山城国分寺跡)

大極殿跡の片隅に立つ石塔。

恭仁宮跡(山城国分寺跡) 恭仁宮跡(山城国分寺跡)

宮跡の大部分が今は田畑の下に眠っている。

朝日に照らされた、恭仁宮跡。

恭仁京は5年ほどしか都とならず、大極殿は山城国分寺の本堂として使われました。その山城国分寺も鎌倉時代以降は衰退し、室町時代以降の衰勢は分からず、歴史の表舞台から消えていきました。奈良時代に成立した「万葉集」にも、恭仁京造営を賛辞する歌から退廃を嘆く歌まで収められているそうです。
今はもう、旧都の面影もない景色。でも、だからこそ想像できる往時の様子に想いを馳せて、朝日に照らされた恭仁宮跡を散歩しました。蝉の声が盆地全体に響いているような、盛夏の朝でした。

恭仁宮跡(山城国分寺跡)

失われたかつての都に直接触れている気がする恭仁宮跡。往時の様子に想いを馳せて、朝日に照らされた恭仁宮跡を散策した。

恭仁宮跡(山城国分寺跡) 恭仁宮跡(山城国分寺跡)

山城国分寺跡は大きな広場になっている。

恭仁宮跡(山城国分寺跡) 恭仁宮跡(山城国分寺跡)

静かな都の跡に夏の朝日が昇ってきた。

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photo.

アクセスマップと交通アクセス

■公共交通機関でのアクセス ― 恭仁宮跡(山城国分寺跡)

  • JR関西本線/大和路線「加茂駅」:
    • 西口から徒歩約30分。
    • または、奈良交通バス「和束町小杉行き」に乗り、「岡崎」バス停で下車、徒歩約10分。
  • コミュニティバス(平日のみ・予約制あり):
    • 奥畑線・銭司行き・西行き等、「恭仁宮跡」バス停下車すぐ。

■車でのアクセス ― 恭仁宮跡(山城国分寺跡)

  • 京奈和道・山田川ICから国道163号経由で約9km、所要時間約15分。
  • 駐車場あり(無料/約10台)。

詳細情報

名称 恭仁宮跡(山城国分寺跡)
所在地 京都府木津川市加茂町例幣中切29
問い合わせ先 0774-39-8191 | 木津川市観光協会
休業日 -
料金 -
駐車場 無料駐車場
公式サイト https://www.city.kizugawa.lg.jp/index.cfm/8,28716,36,420,html
wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/山城国分寺跡
食べログ
トリップアドバイザー https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g1023403-d8149083-Reviews-Remians_of_Kunikyu_Palace-Kizugawa_Kyoto_Prefecture_Kinki.html
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情報更新日:2026年1月

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