稗田環濠集落
ひえだかんごうしゅうらく □奈良県大和郡山市





室町時代から続く、歴史ある環濠集落。
地元が奈良県だったので、小学校の時に稗田環濠集落のことを学んだ記憶があります。集落全体が水を張った濠に囲まれた、特殊な町並み景観です。特に室町時代から戦国時代にかけて農民が戦乱の世を生き抜かなければならない時代に多く作られ、いくつかは数100年を経た現在でもその形が残されているのです。
その全国的にもよく知られた事例が、今回ご紹介する稗田環濠集落です。奈良県北部の大和郡山市の田園風景の中に今も当時のまま存在しています。

集落全体を濠で囲った環濠集落。特に室町から戦国時代に多く造られたが、「稗田環濠集落」は当時の様子を色濃く伝えている。


東西約260m、南北約260mの規模。


濠の幅は広いところだと約10mもある。
東西約260m、南北約260mの規模。
稗田環濠集落は室町時代には現在のような形になっていたと言われています。東西約260m、南北約260mの規模で、周囲の濠はところどころで湾曲しながら集落を取り囲んでいます。濠の幅はまちまちですが広いところで10mほど、狭い箇所は3mほどのところもあります。深さは2〜3mほどあるそうで、水はたっぷり貯められています。南西角には水門もあり、この辺りを流れる佐保川と同じように北東から南西への流れがあるようです。水位は一定で治水対策はしっかり行われているようです。

深さは2〜3mほどあり水はたっぷり貯められているが、水位は一定に保たれている。


稗田環濠集落は室町時代から現在の形だという。


南西角には水門が設けられている。
鎮守の森に包まれた、賣太神社。
環濠集落では神社を中心に発達した事例も多く見られるそうです。この稗田環濠集落もそうで、南東角に大きな森があり、ここに賣太神社が鎮座しています。境内はさほど大きくありませんが、古くからの森に包まれた静けさが印象的。この地の出身と言われ、「古事記」の編纂者のひとりである稗田阿礼を祀る珍しい神社です。なのでまずは賣太神社に参拝。その境内から抜け道のような森の小径を抜けると、そこは稗田環濠集落の町中となります。

稗田という地名は「古事記」の編纂者のひとりである稗田阿礼に由来する。その稗田阿礼を祀るのが「賣太神社」。


環濠集落の南東角に鎮座する。


集落との境界にある赤い鳥居。
道は細く、迷路のように入り組んでいる。
環濠集落内の道は細く、そして入り組んでいます。まるで迷路のよう。袋小路があったり、路地もわざと鍵型に曲がっていたり、また十字路は1箇所しかなかったり。遠くを見通せるところはひとつもありませんでした。攻められた時の防衛を考えた町並みになっていることを肌で感じました。そしてそれはミニチュア版の城郭とか城下町を見ているようでもありました。
当日はあいにくの雨模様でしたが、環濠集落の周囲では黄色くなりかけている田圃と、その周りに咲く真っ赤な彼岸花が秋を感じさせてくれました。

集落内の道は細く、袋小路があったり、わざと鍵型に曲がっていたり。集落の防衛を考えた造りなのを実感する。


中には大きな屋敷などもある。


東側の濠。農業用の水路も兼ねていそう。
photo.
アクセスマップ
詳細情報
名称 | 稗田環濠集落 |
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所在地 | 奈良県大和郡山市稗田町 |
問い合わせ先 | 0743-52-2010 | 大和郡山市観光協会 |
休業日 | - |
料金 | - |
駐車場 | - |
公式サイト | ― |
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